直利庵の正しい創業年については、現存する古文書によると。
蕎麦屋としての始まりは江戸時代の嘉永3年以前と言われています。のちに「かくか」という屋号を名乗り始め、そして、「直利庵(なおりあん)」へと変わっていきました。現在は、「直利庵(ちょくりあん)」という読み方ですが、その呼び名には時代背景も大きく影響しています。盛岡のある北東の一帯は鉱脈が多くある地域。大きな鉱脈に当たることを「大直利(おおなおり)」と呼んでいたそうです。その縁起のよい言葉にあやかり、私たちも「直利庵(なおりあん)」と名乗り始めました。
当時のお店は八幡町にありましたが、この界隈は旦那衆が夜な夜な集まる社交場と言った雰囲気。お酒を出していたこともあり、華やかな盛岡藝妓の三味線の音が夜遅くまで響いていました。口の肥えた旦那衆の注文に応えていく中で、私たちの蕎麦の味は磨かれ、そして、評判が広がるとともに、多くの方が訪れるお店へと成長していきました。ご贔屓にしていただくお客様から愛称として「直利庵(ちょくりあん)」と呼ばれていましたが、いつしか、それが正式な店名になりました。